誰にも聞かれない場所でひたすら独り言を録音する「ひとりごとプロジェクト」。 今週の録音を聞き返していて、自分の中にある「価値観の変化」に気づきました。
それは、多くの当事者が悩み、そして武器としても使っている吃音における言い換えについてです。
吃音における言い換えは、私を助けてくれる救世主
まず大前提として、私は吃音の言い換えというテクニックを否定するつもりは全くありません。 むしろ、私自身もこれまで数え切れないほど、このテクニックに救われてきました。
- 「ありがとうございます」が出なければ「すみません」と言う。
- 「昨日」が詰まりそうなら「前の日」と言う。
この瞬時の判断があったからこそ、会議を乗り切れたり、変な空気にならずに済んだりした場面が山ほどあります。 吃音の言い換えは、社会生活を送るための立派な「護身術」であり、必要なスキルです。
「吃音改善」の定義は人それぞれ
ただ、ふと思ったのです。 「吃音が改善した状態」とは、一体何を指すのでしょうか?
- 表面上の流暢さ優先し、言い換えを駆使してでも「つっかえずに話す」こと。
- つっかえてもいいから、「本当に言いたかった言葉」を自分の口から出すこと。
どちらが正解というわけではありません。 その人が「どちらを幸せと感じるか」によって、改善の定義は変わります。
これまでの私は、間違いなく「1」を目指していました。 しかし、今週の独り言の中で、私の心は少しずつ「2」の方へシフトしていることに気づきました。
「心」は満足しているか?
「言い換えで乗り切っても、本当の心は満足していないんじゃないか」
録音の中の私はそう呟いていました。
言い換えればスムーズです。周りも安心します。 でも、言いたかったことと微妙にニュアンスの違う言葉を使い続けることは、自分自身に対して小さな「妥協」を積み重ねることになります。
今週は、予期不安を感じても、あえて言い換えずに「本来言いたかった単語」に突っ込んでみました。 もちろん、詰まることもあります。
でも、なんとか言いきった時、そこには言葉にできない「精神的な健全さ」がありました。 「自分の心に嘘をつかなかった」という満足感です。
自分自身への向き合い方として
言いたいことを飲み込んで、自分を抑え込む。 その「言えなかった経験」の蓄積が、さらに吃音への恐怖を強めていたのかもしれません。
今の私にとっての「改善」とは、流暢に喋ること以上に、「自分の言葉を取り戻すこと」なのかもしれません。
- 吃音の言い換えに頼る日があってもいい。
- でも、勇気が出せる時は、予期不安ごと受け入れて、言いたい言葉を選んでみる。
そんなスタンスで、来週もこのプロジェクトを続けていこうと思います。
私が現在録音に使っているPlaud Note 公式サイトはこちら。


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